少し前になるけれど、野田地図の「THE BEE」を観た。
怖い舞台だった。秀逸。狂気の表現は簡単なようで難しい。
連鎖をどこで断ち切るのか。
「こうされたから」とやり返す。やり返すうちに麻痺してくる。止められなくなる。
これは事件じゃなくても、物語上じゃなくても、有る事、と思う。
人が暴力や人の痛みに対して、少しずつ慣らされると麻痺してくるというのはスタンフォード監獄実験やアイヒマン実験が有名だけど、一番怖いのは、その自覚がない、なくなる、ことだと思う。
自分に対する疑いを、いつだって自分の中に持っていたい。
それはもしかしたら、人から見たらふわふわしているように見えたり、どっちつかずに見えたりするかもしれない。
それでも。
「受けとめて」より「受けとめる」を多くしたい。
そして良くない連鎖を断ち切る勇気を持つこと。
人は簡単に無自覚に無意識に人を傷つける側になれるから。
やめるができる。ごめんねが言える。ありがとうが言える。
それは人間の美しいところだと思ってる。
暗い連鎖を柔らかいあったかい連鎖にしたい。
思いやりと慎みと。
我儘で「わかって欲しい」が多いから、反省しきり、なのです。
私の聴こえない左耳は聴こえない代わりにずっと耳鳴りを鳴らしてる。
それは時々音を変え蜂の羽音のようにもなる。
自分に疑いを持つこと、強く優しくあるためには、自分の嫌な部分や暗く澱んだ部分から目を逸らさずに向き合わなきゃいけないんだろうなと感じている。
蜂の羽音に怯えるのではなく、苛立つのではなく。
“神の子どもたちはみな踊る”
三角座りになって涙をこぼしました。
(小説に、ではなく。)
野田さんをご覧になったそうで。
私も実は5/30に観に行ってきたのでびっくりしました。
肩が金縛りになって震え上がっていて、
そとのくうきに触れても強張ってすぐにはほぐれてくれなかった。
私の私に対する嫌悪をすべて現してくれるような痛々しい写実。
私が持っているのも嫌な物を
長きに渡って作り上げるのは心底疲れるだろうなと思いました。
>イエローのこねこさん
お返事が遅くなっちゃってごめんなさい。
そして書き込みありがとうございます。
言葉はとても近いけれど、だからこそ遠いですね。
野田地図はできるだけ観たいと思って、機会があったら足を運んでいます。
偶然、多いですね。ふふ。
怖いのは動けなくなるのは、やっぱり自分も持ってるからなんだろうな。
そこから目を逸らさないで向き合うこと。
山を登るみたいに疲れても、休んでも登り続けたら、何か見えるかも。