2月、福島へ ― その2  [Fukushima at February 4,2012]

雪の朝。雪が積もった朝は目を開ける前に、空気の匂いが違っていて気づく。

陽が出る前に外に出る。青い朝。新雪を踏むぎゅぅっぎゅぅっという音、感触。

2日目。農地の放射線量計測の取材についていく。

テレビのディレクターさんと、一面に広がる雪景色を見てため息。
「極上の風景ですよね。」と話をする。
「こういう取材じゃなくて旅番組でもいい風景ですよね。」

伊達市。手元のガイガーカウンターでは線量0.6μSv/hくらい。

農家の草野さん。
いっぱいに積まれた白菜を見て「これはどうするんですか?」と聞いたら「剥いたら食べれるんですよ。」と言って剥いて一つくれた。

その後、作業場にて話を聞く。
補償や賠償について。実際の生活の変化について。事故をどう思っているか。

「自分の畑で基準値以上の作物が出なくても、どこかで出たら、出荷停止になる。
実際、出荷停止になったが、出荷停止が解けたと言われても野菜には旬があり、その頃には商品として出荷できなくなっている。
とにかく最初に全て出荷停止にして、全量買い上げとかできなかったのか。
人の口に入るものを作るということは、信頼が全て。その信頼が揺らぐ事になっているのは今の状態では仕方なくて、それでもただ誠実に作り続けるしかない。
その為に自分で自費で土壌の放射線量の計測を行ったりしている。
損害は野菜だけで200万くらい。」

「初期の対応が大切だったと思う。
基準値以上の生産物が出る出ないを別として、最初に全てストップしていたらこんなに消費者さんの信頼を失うこともなかった。
それに畑を耕して土を混ぜてはダメだとかも最初に知っていたらどうにかなったのに。
作って検査して、もし出荷がストップしたらそれで補償が出る出ないの話にやっとなる。作らなければその土俵にすら立てない。」

別れ際に「かぶれ菜」というお野菜を頂いた。緑の命の匂い。とても嬉しかった
草野さんが小さい頃は、おうちは養蚕もしていたそう。私の父方の茨城の実家がやっぱり私がまだ小さい頃は養蚕をしていて、少しその話をした。
蚕が桑を食べる時間が不思議と決まっていて、その時間がくると「しゃわしゃわしゃわ」って雨みたいな音がすること。その音が私は大好きだったのですよ、と言うと、僕も大好きだったと言ってくれた。

それから、原発の話ばかりがクローズアップされているけれど、地震の被害も結構あったことも少し話した。

そして移動。

やっぱりただただ綺麗。

次の農家さんではトマトを頂くのでした。その3へ続く。