2月、福島へ ― その3  [Fukushima at February 4,2012]

雪の下には命が生きている。

ビニールハウス、水耕栽培でトマトを育てている須藤さんのお話を伺う。

「水耕栽培だし、ビニールハウスだし、放射性物質は出ていないが、去年まであった学校給食への卸はぴたりと止まった。出てないと言っても売れないし、ここ(福島)で作り続けるのでいいのかな、と思うことはある。」

「自分が消費者だったら、こっちに福島産の野菜があってこっちに宮崎県の野菜があったら、宮崎県の野菜を買う。そういうものだと思う。でも自分も子供も学校に行かせなきゃいけないし作り続けるしかない。ネットなんかで『福島の農家は毒を撒いている』みたいな話が出ていると聞くと、言葉も出なくなる。ここまで工夫して美味しいトマトをと研究して農業してきて、事故が起こって。とにかく(放射性物質が)出ないように、出さないようにと思って作っていても、そう言われるって、なあ。」

働き者の場所。

飯館村から避難してきて、ビニールハウスを借りて農業を再開しているという長谷川さんを須藤さんが紹介してくれた。
長谷川さんブログ

「これは原発だけの問題じゃないんですよ。農業全体の問題。飯館村で専業農家はたったの5軒。他は兼業農家。農業をしている人間の殆どが60歳以上。他の場所に引っ越して農業を続けたら良いなんて声も聞くけれど、そんなに単純じゃない。他の場所に農地があったとして、それを探すということ、そこに引っ越して農業を始めたとして根付くのに3年はかかる。周りとのコミュニケーションの問題が大きい。農業は一人じゃできない。苗の仕入れ、卸先、JAとの関係、水周り、全てコミュニケーション。それを60歳以上の人間が軽々とやれるかと言ったら現実的に厳しい。」

「最初は東電くそーっと思ったけど、根っこの問題はそこじゃないんですよね。僕はTPPに賛成だったんですよ。工夫して農業してるから。競争しても勝てると思ってた。今は日本産、福島産の野菜で勝負はできないだろうけど。もともと飯館村でカフェをやろうと思ってたんですよ。自分の畑で作ったものを出して、夜はカフェをする。田舎でやるのが良かったし、もう無理ですけどね。それでも前を向かなきゃいけない。今年、飯館村で研究のために野菜を作るって話が出てるけど、僕は反対なんですよ。作ったら、流通するんじゃないかって疑われる。信頼のために、疑われるようなことはするべきじゃないんです。じゃないと、飯館村だけじゃなくて、福島全体に迷惑がかかるでしょう。」

草野さんも、須藤さんも、長谷川さんも、とても聡明な人だと感じた。
3人とも声を揃えて福島の生産物は、事故後、放射性物質の検出は関係無しに出荷をストップするか、全て買いあげれば良かったのだと言っていた。

テレビ局の人たちが須藤さんにインタビューをしている間、雪が綺麗で、外で尻尾を振って飛びまわる犬のように写真を撮っていたら、お隣の農家さんに話しかけられた。

何もかもわかっているように「取材?」と聞くおじさまに「私はおまけなんです」と笑った。
「うちの畑もビニールだから、今は空っぽだけどこれからいれていく。今は掃除中。ここら辺(放射線量が)高いでしょう?これでも冬になって下がったんだよ。雪が遮断してるから。春になったらまた上がるんだろうねえ。」

「雪はいいね。放射能も汚いもんも全部隠してくれるから。」

という言葉が印象的だった。

ふわふわの雪。

普段はあまりそういうことをしないのだけど、どうしてもトマト畑に立っている所を撮りたくて、最後にお願いして立ってもらった。

風景や、何も無さそうに見える所ばかりを撮ってる私は何度も「そんなところでいいの?」とか「何撮ってるの?」と聞かれた。
「うまく言えないけれど、大阪も福島も変わらないってことを思うし、伝えられたらいいなって思うんです」と言うと
「それがいいね。ありがとう。」とみんな笑ってくれた。

雪でとにかく光が跳ねちゃって、下手な写真はますます何を撮ってるかわからないものになってるけれど、私の写真で少しでも笑ってくれる人がいるといいなと思った。

「どうしてもヌカガさんに見せたいんだ」と言って、今回アテンドをしてくれた容堂さんが、夜の信夫山に連れて行ってくれた。

福島市を見降ろす。電灯の光。そこはとても美しくて。小さな銀河みたいだと白い息を吐きながら想った。

その4へ。