おばあちゃんのこと

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先週、一緒に住んでいたおばあちゃんが亡くなった。
一緒に住んでいたと言っても、今年の3月からは施設や病院を行ったり来たりだったのでびっしり一緒にいたわけではないけれど。
私が島に引っ越してくる2ヶ月くらい前にも、入院してたおばあちゃんが肺炎になって「危ないかも」という連絡を受けたことがある。
その時「もう少しで一緒に住めるから、もうちょっとだけ待って。」とすごく祈った。
このサイトのタイトルじゃないけど「祈ることしかできない」事柄の一つと思って、すごく祈った。
祈りが届いたのかどうかはわからないけど、おばあちゃんは奇跡的な回復を見せてくれて、そこから3年、一緒に過ごすことができた。
私は血が繋がってるわけじゃないから、おばあちゃんも遠慮があったと思うし、本当にただ一緒に住んでるだけで介護とかそういうことをしていたわけじゃない。
でも、目が見えない中で私の気配を感じて「じゅんちゃんかい?」と声をかけてくれたり、ちょっとした頼みごとをする時のおばあちゃんの感じや(主に栄養ドリンクを買ってきてほしいというリクエスト)、綺麗なものやかわいいものが実は好きなんだろうなと思うことがあったり、「じいさんには内緒な」って言う時のちょっと子供っぽい言い方とか、好きだったんだよなあって思う。

島に住んでいると、人の死に会う事が多い。狭い人間関係の中で、高齢化社会の縮図みたいになってる場所だから、死が近いのは仕方がないと思う。
島に住み始めた年にも、大好きだったアキさんが亡くなった。

死に、慣れるなんてことはなく悲しい。

大好きだったんだよなあ、って思いながら、見送った。

おばあちゃんは、あんまり写真を撮られるのが好きじゃなかったように感じてて。それは、きちんとした人だったから撮られるんだったらちゃんと綺麗にしたかったけど、もう目も見えなくてそういう自分を自分がわからないままに写されるのは嫌だったのかなあって思ってた。
だけど、おばあちゃんの遺影の写真を探すときに、私の写真は何一つ役に立たなくて、何だかそれはそれで申し訳ない気持ちがした。
島で写真を撮ってると時々「遺影にする」とか言われちゃうんだけど、きっと褒め言葉のつもりで言ってくれているその言葉に、私は嫌で寂しくて、そんなこと言うなーって怒るし思うのに、実際は自分のしていることが何の役にも立たないというのが、申し訳ない気持ちになった。
最後まで役に立てないことばっかりでごめんね。
だからといって、変わらなくて、これからもそう言われたら嫌だし、そういう写真は撮らないんだろうなと思うのだけど。

なくなっちゃうってわかってるから。残り香よりも少しだけ強く。ただ日々の断片を残す。
おじいちゃんが新聞読む横で、具合の良い時はぽつぽつ話しながらおばあちゃんも座ってた。
手押し車についたスカーフは「そのスカーフ綺麗だね」って言ったら、ずっとつけるようになったもの。

大好きだったなあ。