髪を切る日

髪を切りました。ぼんやりと伸ばしていたら、そこそこの長さになったので、ヘアドネーションすることにして30cmとれるようにしました。「とれるようにした」って素材感。良き。

ヘアドネーションしようかと思ったのは誰のためでもなく自分のためで。供養の為に書き記しておこうと思ったので、今、海を渡る電車の上でこれを書いています。

私はどうも学校に馴染めない子どもでした。「自分の場所ではない」という感覚があって、いつも居心地の悪さを感じていました。それは小学校の時から高校までずっと。高校はいわゆる「地方の進学校」で、その頃、福島は各地域の名前がついた進学校があって、全て男子校と女子校に分かれていました。大学に行くためにはその高校に入る必要がありつつも、大学に行くための前にその学校に入るということが目的化しているような雰囲気もありました。

私は、なんの疑問もなく、その学校に行くものだと思っていて、受験して合格してその学校に入って。

そして気がついてみると、そこには何もありませんでした。

振り返って、あの頃、楽しくなかったのか?と自分に聞いてみると楽しくなかったわけではないとも思います。友人がいて部活があって。でも、なんだろうなあ。向いてなかった、という言葉が一番しっくりとくるかもしれません。

違和感は思いがけないところに出るもので、私は髪を抜くようになりました。

抜毛症というらしいそれで、ぐんぐん禿げていく私を見て、母は病院へ連れて行き、地肌を晒した頭を隠すようにとカツラを買ってくれました。

でも、そのカツラの髪はゴワゴワで。どうしても「カツラを被った人」になってしまうのです。私は買ってもらったカツラをほとんど使わぬまま、帽子をかぶって過ごしていました。高いお金を出して買ってもらったのにという罪悪感を胸の昏いところに抱きながら。それでもそれを被った方が、お前は違うんだという印みたいに、そこにいることが異なる人になりそうに感じて。

抜毛症は大学に入って、ふと思い立って一度坊主にしたら、ピタリとおさまりました。ただ、どうしても私は、あの時の寄る辺ない気持ちを抱えていたまだ若い私のために、髪を贈ろうと思ったのでした。

なので、私の行為は誰かのためというような美しいものではなく、自分のためでしかないのです。

私はどうも過剰に誰かの感情を刺激してしまうところがあるらしく、ひどく愛されたり、ひどく憎まれたりすることがあります。それはきっと”モテていいね”というようなものではありません。歳をとって、その感情の刺激というのは自分の欠落からきているのかな、と思うようになりました。埋めることが良いことかどうかはわからないけれど、今、私はその欠けた部分をパテで埋めている途中のように思うのです。これもその一環。