疾走。2023年、振り返りを書きかけて公開してなかった。なんでだろうと思った時に、なんとなく2023年と2024年はセットになっていた気がして、勝手に少し納得している。
公開しなかった2023年の振り返りはこちら。(私の文章へのもったいないお化けが囁いてコピペさせてるだけなので読まなくても問題なし)
2023はとにかく必死な年でした。良く外に出てたと思う。
きっかけは多分WordPressのCommunity TeamのRepsに推薦していただいたことで、こんな事を言ったら誰かに怒られるかもしれないけど、本当に分不相応な役をたくさんさせてもらいました。(過去形じゃなく進行形でさせてもらってます)2023はWordCamp Asia、WordCamp EU、WordCamp USという3つのフラッグシップWordCampに行きました。Asiaは実行委員として参加。2019から準備していた初のWordCampが疫病で中止になって、2023はやっと開催できた、という気持ち。もう本当にやっと。
デザインチームとして参加して、なんて言ったらいいんだろう、Asiaの2023はもうできただけで良かったです。人と会って、そこから力をもらうことを改めて感じた2月でした。5月には英語の修行をしにフィリピンに行って、6月にはWordCamp EUでギリシャに。EUでは、ビザの関係で急に来られなくなったスピーカーさんがいらして、ピンチヒッターのお声がけをいただいてパネルディスカッションに登壇。コントリビューターデイではテーブルリードをして、もうひとつ小さなパネルディスカッションにも登壇させていただいた。なんだろうこれ…こんな風に書いてるとすごく英語できるみたいなのだけど、英語力が全然上達していません…。
WordCamp EUは少し思い入れがあって、私が初めて行った海外WordCampがWordCamp EUの初回(2013年)だったんですよね。その頃私はWordCamp Kansaiをやろうとしていて、その時にデジキューの組長から「海外のWordCampを見たほうが良い」ということを言われて、うん、じゃあ行ってみようと思ったのがWordCamp EUで。
WordCamp EUはその時から10年目。2013は日本からはなおさんが登壇していて、10年経って自分がそのステージにあがれるとは本当に思ってもいなかったのでした。WordCamp USはワシントンD.C.で開催。初渡米。WordCamp USの前にWordPressのコミュニティサミットというものが開催されまして世界から120人ぐらい集まってWordPressの色々についてディスカッションするという場なのですが、応募して選んでいただくことができました。コミュニティサミットは会社などからサポートのない人には、コミュニティから旅費のサポートが出るので行けた感じです。
2日間がっつり議論、そのあとコントリビューターデイがあって、その後カンファレンスデイというなかなかのハードスケジュール。
しかも、私はこの裏で日本では男木島の観光協会がイベントをしていて、そっちも気になるというようなこともあったり。そして現在進行中なのですが、2024年3月にWordCamp Asiaが台湾で開催予定で、そこでも実行委員をさせてもらってます。週に1回か2回、英語でのミーティングがある生活。
なのに英語は上達しない。WordPressに随分遠くまで連れてきてもらった、としみじみ。
WordPressにずいぶん遠くまで連れてきてもらったというのは変わらずで、一つ前に書いたState of the Wordのお話しがまさにそういう話ではあるのだけど、同時に今思っているのが自分が「書かなくなった」ということ。
2024年に入った時に、手に持っているものを少し減らそうかと思うという話を友人たちとして、なのに気がついたら目一杯両手に抱えてる1年だった。それもまた巡りというか仕方のないタイミングだったのかもしれないし、今になって思うと50歳前の全力疾走だったように思うのだけど、来年はもう少し、読んだり書いたりを増やしたい。インターネットへじゃなくてもね。
走り続けた2年は、成長や糧をくれたと思うけど、今度は咀嚼する時間も必要。
2024年は年初から芦原妃名子さんの死にひどくダメージを受けていて。良くも悪くも色んなことを「わかる」と思いがちな私は、同時に常に自分は正しくはないという疑いも持っていて。
正義を強く訴える無数の声があった時に、それが本当に正義なのか、という気持ちと。同時に声を上げなければ変わらないということもわかるので、それを否定したくないという気持ちと。そして勝手に身が竦むみたいに感じて。
誰も傷つけたくはない、などと傲慢なことを思うつもりはないけれど、同時に自分を信じ切ることもできずにいる。混乱。
と書いていると「混乱しながら疾走」って、だいぶ危ない感じですね。
とはいえ、混沌は常に愛したいという気持ちはあり、分けずにそのまま受けいれつつ自分を保つための何かも手に入れたいところ。それが寛容なのか、器なのか、信念なのか、まだわからないけれど。
「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」から読みましょうか、と思う年末。
そしてフィルムの写真を現像に出さなくっちゃ。