十一月の白さは、その白さに尋ねなければならない

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私にはある種の人たちの感情をどうしようもなく揺れ動かしてしまう部分があるらしい。それは、多分、とても良いことでもあるのだけど、決して良い側面ばかりではなくて。時折、過剰な愛情や、愛情から引っ繰り返った憎悪を受けることがある。それは異性同性関わらず。そしてその関係は私にも相手にも足るを知らせる事は無く、ただひたすらな磨耗を生む。

「坂のある非風景」さんが、この私の性質のようなものについて言及してくださった。恐れ多くもあるのだけど、それ以上に、他人の俯瞰の言葉で語られる自分に「気づき」は多くて。

私は文章を書いて、写真を撮っている。のに、いつも、何かしら(欲望・嫌悪・愛情・嫉妬)の対象となるのは「私」だ。文章や写真ではない。透けて見える、とも違う気がする。問題はそこにある。これが「わたし以上のわたし」に所以するところにあるのだとしたら、私は「わたし以上のわたし」に追いつきたい。そして追い越したい。

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砂漠に雪を降らせることはできないかもしれない。砂漠は砂漠でしかなく、茫漠とした孤独があるだけかもしれない。それでも私はその砂漠を愛しているし、砂漠に立つ。砂漠に降る雪を夢見ながら、砂の写真を撮り、雪について百年書き続けようと思う。遠く同じ月を見ている人を想いながら。