それぞれのローキック

ニューカレドニアに住む友人が、このブログとFlickerの「Please Donate For Japan Earthquake」をFacebookで紹介して募金を呼び掛けてくれた。日本より慎ましい暮らしをしている人たちに募金を呼びかける意味をしっかり考えようと思う。

「無力ではない」なんて強い言葉を書きながら、自分は何ができるかを必死で考えてた。冷静であろうとしながらもがいててんぱって。特にTwitterを読んでる人たちには、みっともない姿をさらし続けたんじゃないかと思う。

とてもつらい1週間だったけど、同時に人の優しさや、すごく自分が助けられてること、支えられてることを実感した1週間でもあった。

少しずつ安否が判明してきて。小学校の大好きだった担任の先生が避難所に居る事が安否情報でわかったり(入力してくれた人本当にありがとう)、私に電話がかかってきて私が心配されてたりしたこともあった。同時にやっぱり悲しいニュースも入ってきている。

原発はまだたくさんの人が自分の身体も顧みずに止めようと必死に作業している。

昨日、娘の同級生のお母さんからメールがきた。「こないだは軽はずみなこと言っちゃって本当にごめんなさい」と。思い当たることが無かったのでそう返すと「映画みたいって言っちゃったから」って。そんなん私だって思ったし、と笑う。少なくとも私に対しては気にしなくていいのに。こんな風に誰かが誰かにいつも何か悪いような気持ちを持たなきゃいけない時期が早く過ぎればいい。

「終末のフール」を少し読み返した。「黙々と、不器用に、でも、やることをやる」黙々とはできなくて私はやっぱりかっこわるいけど、それでも自分ができることをやっていこう。芝居をする人は芝居をする。漫画を描く人は漫画を描く。物を売る人は物を売る。Webを作る人はWebを作る。ご飯を作る人はご飯を作る。写真を撮る人は写真を撮る。それぞれのローキック。