三月 3月はいつも苦しいけれど好きな月のような気がしている。 不安定さを楽しむ余裕ができたわけじゃなくて、3という数字が好きなだけかもしれない。 3といえば、自分が今やり始めたことはきっと3年後ぐらいにならないと芽が出ないように思ってるし、 撮っている写真も3年ぐらいたたなきゃわからないように思ってる。 だけど3年後も生きてる保証なんてなくて、焦っても仕方ないよって声と、もっともっとって声がいつも自分の中で鬩ぎあう。 共有:クリックして Twitter で共有 (新しいウィンドウで開きます)Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます) 関連 Share: Twitter Facebook Google+