Bessaflex TM + CARL ZEISS JENA FLEKTOGON 35mm/F2.4 + Kodak PORTRA 400vc
歳を重ねれば重ねるほど「死」というものは近くなり、すれ違ったり、触れ合ったり、対面したり、時には寄りそわなければいけなくなることも出てくる。
血止め式のid:hebakudanさんが亡くなったことを知ったのは5月8日の夜だった。はてなのシステムもいまいち理解し切れてなくて、最近はブログを廻ることもあまりしていなかった私だから、4月30日に入院されていたことも知らなかった。お星さまと少しのコメントのやり取り。無精で不義理な私は、返礼はいつも遅くて、その上id:hebakudanさんの優しい言葉に敵う言葉はいつもでてこないでいた。
振り返ってみると、去年の6月末に書き始めたこのブログに8月にはお星さまをつけてくださってるから、かなり早い時期から見守ってくれていたのだとわかる。なのに気の利いた一言すら返せなかった。
亡くなられた人のことを書くのは難しい。芝居がかるのも、変に悲嘆に暮れるのも、違う気がするし、id:hebakudanさんも望まないと思う。だってお名前が屁爆弾だもの。からっとした、潔さを持って、みんなに愛されていた人。だからこそ、上手く書けないのはわかっていながら、何か書いておきたかった。
だって「私はもう充分生きたように思う。」なんて、何度読んでも泣いてしまう。
id:hebakudanさんが、ここに最初にコメントを残してくれたのは私の体調を気遣う言葉だった。
なんの恩返しもできないまま私は生きる。でも、生きることで本人には返せなくても、もらったものを誰かに引き継ぐように返していくことはできるんじゃないかと思う。
私も近いうちに小さな手術を受けることが決まった。たいしたものではないのだけど、それでも気が小さい私は深夜に不安でもんどりうったり、わあああんと泣きたくなったりする。その時に想うのは去年乳癌で亡くなった川村かおりさんがブログに書いていた「痛みが鎮まることを乞うのではなく、痛みに打ち克つ心を乞えますように。」という言葉だ。そして今はそれにid:hebakudanさんの人に気を遣わせることのない無理のない明るさが思い浮かぶ。
私が撮った中では珍しく、乾いた明るい、すっくと光に向かっている花を捧げます。豪華じゃないけど力強い優しい花。勝手ながらid:hebakudanさんに似合うと思うのです。
見えにくくなった目に煩わされることなく、どうぞ思う存分本を読んでください。痛みの中、最後までありがとうございました。
初めまして。hebakudanの姉です。妹はalcoholifeさんについて次のようなメモを残しておりました。「春先にalcoholifeさんのブログをアンテナからはずしてしまった。alcoholifeさんの美しすぎる写真や詩的すぎる日々の綴り方を拝見すると、自分のような者ははじめから閉め出されるような気がしてつらく、それだけに私がブログで書くものも必ずどこかでalcoholifeさんのような方を傷つけてしまうに違いない。だから距離をあまり縮めないほうがいいと思った。それでもalcoholifeさんは私の記事にそっとスターを贈り続けてくださる。やっぱり私の態度や感覚こそがクソねじれているのだ。ちゃんと考え直してみなくてはならない。退院してネットに戻れたら私もalcoholifeさんに再びスターを贈ろう」・・・・・・。
身内の者としてこうしたメモ内容は大変お伝えしづらいのですけれども、こんなにボロっちい狭量さもまたhebakudanのネット生活の一部であったことを、せめて身を小さくして隠さず申し上げておこうと考えました。生来が我の強い奇妙な気質をかかえていた妹も、alcoholifeさんの撮られた花のお写真をこうまで晴れ晴れとたむけていただいたのでは、さすがにあの世でシュンとしないわけにはいかないでしょう。妹のために最後までalcoholifeさんからこうして尽くしてもらえた思いやりに心から感謝いたします。有難うございまた。alcoholifeさんもこれから手術を受けられるとのこと。どうぞ充分なご滋養とご自愛を。
hebakudanさんのお姉さま、はじめまして。このような言葉が適切かどうかわからないのですが、ご両親も早くに亡くされているとhebakudanさんのブログで拝見いたしました。残されるものの痛みを背負いながら、それでも妹さんの遺志を全うさせようとされているお姿、言葉に胸を打たれています。そして、やはりご姉妹なのですね、hedaさまにもhebakudanさんと同じ優しさを感じます。
この場で自分のことを語ることをお許しください。
私は、人との距離の取り方が本当に下手で、ここで写真をあげて、文章を書いていても、そこにつけられた言葉に嬉しいと思いながらどう返したらいいか、どういう言葉が適切なのかとても考えこんでしまうことがあります。hebakudanさんとのやりとりもそんな中にあって、いつも優しい言葉をもらっていたのに、どうも当たり障りのないお返事しかできていませんでした。hebakudanさんは歯に衣をきせぬ方だったから、私のそんな距離の取りかねた感じが歯がゆかったのではないか、と勝手に思っていたのです。
それが、私のような人間にまでメモを残されていて。ちゃんと心を割いていてくれて。
もう、なんだよう、という気持ちです。私からもっときちんと関わっていけば良かった。
そしてhebakudanさんが私に感じた戸惑いのようなもの、「美しすぎる」「詩的すぎる」と受けとられる何か、というのは私の課題でもあります。狭量なのは私なのです。
このエントリーをあげるのには正直躊躇があって。自分でも書いたけれど「芝居がかる」ようになってしまうのではないか、すっごく嫌な言い方をしたら、人の死を自分の日記のネタにするようなものなのではないか、なんてことを考えていました。
でも、ネットで文章を書いていた人間への弔はネットで書くのが良いと、日記書きなりに。
本当に最後までありがとうございました、とhebakudanさんに。お姉さまも伝えてくださって、真っ直ぐに受け取ってくださって、ありがとうございます。
それに、書かなくてもいいのに書いちゃった私の話にまで思いやりの言葉をありがとうございます。
顔の見えぬインターネットの世界で、微かにでも確かに繋がって、ご自分が関わりになられたひとりひとりに言葉を残すってそうできるものじゃありません。そういった細やかな心遣いと姿勢に、hebakudanさんの人柄なんて言葉じゃ治まらない全てがぎゅっと詰まってる気がします。
hebakudanさんが私のブログにつけてくれた最初のコメントは「どうぞご無理のないように」でした。そういう自分が一番無理しちゃって、と思うのです。お姉さまも、一時は気を張られていてもこれからの生活の中、どうぞお身体に気をつけてください。
本当にありがとうございました。