2021

ずるずると這うように進む1年だった。毒がじんわりとまわって動けなくなる。

「正しさ」という呪いをどう扱ったら良いか、考えあぐねている。正義だと信じれば人は簡単に人を叩く。それを醜悪だと言うことは簡単だけれど、同時に「正しさ」のために声を上げることの大切さも私は知っている。

だから、この「正しさ」は、本当に正しいのか、それとも違うのか、そんなジャッジをずっと突きつけられている気がする。とはいえ、全ての物事に対して、全ての情報を自分が持つわけではなく、且つ視点によって「正しさ」はうつろう。

時代によって価値観は変わる。同時に、今は大きな厄災も抱えている。

常に自分の正しさを疑っている。それが自分にできる誠実だと思うから。でも、自分の正しさを疑うということは、自分が判断するための情報を持とうとすることでもあり、そこは客観だけではなく人の感情も入り乱れる。
「正しさ」というものは、時に非常に感情的であることもある。

そして、毒がまわる。じわじわと。

そして、沈黙する。

それは姿勢としては「正しくない」と感じる。

そんなことを繰り返している。

古い写真を見ると、その時は良いと思えなかったり、その時は出せないと思ったりしたものがある。

日常を重ねて、這うようにでも進んでいれば、この重さも振り返られる日が来るだろうか。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というけれど、歳を重ねて増えた経験が幾重にも重なった着物のように纏わりついて思考の軽やかさを奪ってしまう。

賢者にはなれなくても、世界の美しさを感じられるくらいには軽やかでいれるように。
そっと祈って今年を閉じるのでした。