魂の救済とか再生とかやっぱりさっぱりわからない

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Bessaflex TM + CARL ZEISS JENA FLEKTOGON 35mm/F2.4 + Kodak PORTRA 400vc

2回しか日記を書かなかった2月。その間に観た映画は「バーレスク」「ソーシャルネットワーク」「デュー・デート」「GANTZ」「冷たい熱帯魚」そして3月に入って「ヒアアフター」。

「冷たい熱帯魚」について書くのが「ぽい」かも、と思いながらヒアアフターを観て思ったこと。

絵がとても広くて、それがなんだか不思議だった。ずっと広角で撮ってるような絵。それがある種の俯瞰を感じさせる。個人的には最後まで俯瞰で行って欲しかったのに、最後人物に寄ってしまった感があって微妙。ヒアアフター=来世って、丹波哲郎が浮かんでしまった。

スピリチュアル(spirituality)なものを軽く考えてるわけでも、うさんくさいと思ってるわけでもなくて。例えばちょっとしたゲンをかついだり、言霊って思ったり、占いを気にしてみたり、そういうものは私も持ってる。でも、なんだろう、それで押されると押された分ひいちゃう自分がいる。

で、そんな風なことを感じながらのラスト近く、考えていたことは。人が、誰かを救済しようなんて思うのはそもそもおこがましいことで。そして救おうとしても職業や身分や立場やそういうものは何の役にも立たないんじゃないのかな、と。そんなもので救えるようなものならば、それはそうじゃないものでも救われたんじゃないのかな。人が人を救うことがもしできるとしたら、それは存在のみで。ただそこにその人がいるというだけで安心するような泣きたくなるような、そういうものなんじゃないのかな。ただ美しい夕暮れに逢って思わず立ちどまって見入るような。

ただ、居てくれて良かった。

それだけ。