誰も、誰かの代わりにはなれない

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かなり幼い頃から私は「書く」という人生を選んできて、今もその延長線上に立っている。幼稚園の頃から教室の隅で本ばかり読んでいた女の子は、文字の世界に遊び、言葉に悩み、文章を書きながら大人になった。その自分に迷いは無いけれど、鬱屈はあって。例えば何かを作り出せる人間に対するコンプレックスは深い。絵が描ける、土から形が作れる、樹から形を取り出せる、映像が作れる、総じてなんと表現したらいいのかはわからない、そういう自分の手から温度のあるものを作り出せる人に憧れて已まない。そのコンプレックスが消える事は決して無いだろうと思う。でも写真を撮るようになって少し、薄れた気はする。それは自分に「できる」なんて思う大層なものではなく、少しだけ「助けられている」ようなものなのだけれど。言葉を書く時の集中と、写真を撮る時の集中は種類が違って。両方知ることができた自分を贅沢にも幸福だと思う。