僕等の住むこの世界では太陽がいつも昇り 喜びと悲しみが時に訪ねる

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Bessaflex TM + CARL ZEISS JENA FLEKTOGON 35mm/F2.4 + Fujicolor NATURA 1600

小沢健二ひふみよ、公式先行・ローチケ先行・ぴあ先行・CN先行・イープラス先行と、京都神戸ともに全滅。まだ諦めてはいないけど、へこみ中。

「小沢健二が、ポップスの甘い恋の歌詞の形を借りて表したいのは、麻薬のようなメロディの形を借りて表現しているのは、たったひとつの事、それは人生に何回も訪れない、ある、精神的肉体的条件を満たした状況だと思う。例えていえば、”ある夕方。家の中は暖かくて、何もかもが整っている。それで、何も問題はなくて、窓の外にはきらきらと外の灯りが見える。暑くもなく、寒くもない、体にはどこも痛いところはない。そういう兆しもない。心には、どこもみじめなところもない。その兆しもない。全てが美しく見えて、祝福されているようだが、決してハイな感じではなく、落ち着いた状態でそれを感じている。一歩踏み出せばハイな状態にいけるけれども、それをそうっと抑えている。そのほうが気分がいいから。何か充実したエネルギーが、お腹の底から満ちてくるのがわかる。と同時に、この状態がいつまでも続かないのがわかっているから、かすかに切なくもある。それを、わかっているから、自分から動きたいと思っている。だから、今なら何も問題がなくて、必ず多分笑顔で迎えてくれる誰か好きな人、あたたかい人に会いに行くか、電話をかけて、何だかわからないけれど、自分に訪れたこの満ち足りた時間から自分で飛び出して、また人生を歩こう。またこのような時が自分に訪れるように、神というものに祈ろう” そんなようなことだと思う。もしも人が何かひとつだけを表したいためにいろいろなものを作り続けるとき、それは当然祈りの味を帯びてくる。それから、狂気を。私は、彼自身ももちろんすばらしい男性だなと思うけど、なによりもこの才能は凄いと思う。凄い人がいるなあと思った。深く聴き込んで行くと、叶わない祈りの切なさと、人生の喜びがきらきらとこぼれてきて、深刻な気持ちになってくる。と同時に、いつかまた私にも訪れる恵みのときを信じようと思う。”人はそういう時間を味わうために生まれてきた。そして全ての芸術は、その時間にたとえ反対向きでもその針を合わせている”そんな壮大なものを彼は見ているような気がする」

吉本ばななが小沢健二の音楽について書いた文章の長い長い引用。

叶わない祈りの切なさと、人生の喜び。

最近は情けないことばかりで。その情けない自分も自分だから、認めて、自分ぐらい自分を赦してどうにかやって行こうなんても思うのだけど、どうにも気がつくと求めてしまってる自分がいて、また情けなさに拍車がかかる。雨が、早くやむといいな。