ありがとう

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Bessaflex TM + CARL ZEISS JENA FLEKTOGON 35mm/F2.4 + Kodak PORTRA 400vc

大阪は快晴。澄んだ青い空の下、土曜日は保育園の卒園式だった。そりゃあもう感無量とばかりに色々と思い出すのだけど、浮かぶのは何故か最近のことでは無くて、古いことばかりだ。

私は出産後半年で職場復帰をしたので、子は6ヶ月で保育園に入ったことになる。あの頃、私はただただ必死で、何の為に何をしてるかとかも無くぱっつんぱっつんの毎日の中、家と職場を往復していた。

まだ夫がフリーで家に居て仕事をしていたので、保育園へのお迎えは夫が殆どで、私は復帰後すぐ残業残業の日々に突入して、その中で唯一母親じゃないとできないことを子にしたいと、とりつかれたように完全母乳完全母乳と唱えながらミルクをいれずに母乳だけで頑張っていた。職場でもお乳を搾って、冷蔵庫に入れて、凍らせた母乳を次の日保育園に持って行って。今思うと、そんな風にしなくても良かったんだろうと思う。ミルクをいれたって良かった。でも、母乳をあげ続けるということがなんだかあの時のせめてもの自分の母親としての何かのように思っていた。

入った保育園はとにかくとても良い園で。絶対面倒くさいのにそういうことを一言も言わないで、協力してくれて。「やめなさい」も「続けなさい」も無く受け入れてくれる。それがどれだけすごくて、ありがたいことだったか、今になってしみじみわかる。

時々、保育園批判の話を目にすることがある。「保育園に入れてるのに、子供を育てたなんて言わないで欲しい。育ててるのは保育園だ」「子供が小学校に上がるまでは家庭に居て子供をみるべき」「子供を預けてまで働きたいなんて母親なのに自分勝手だ」―――勿論、みんながみんなそんな風に思ってるわけではないと知っている。それでもそういう話を目にするとへこんだり、考え込んだりする。そして、そうだな、って思う。私は子を半分も育ててない。だから、この自分勝手な母親を支えてくれて、子を育ててくれてありがとうと、本当に思う。

先生からの送る言葉にこんなことが書いてあった。

[ 愛あふれる中で育った子は、大人になった時、きっと周りの人に愛情をもって接することのできる人になると、そう信じています。みなさんはたくさんの大人の人に愛されていたということを、どうぞ忘れないでください。そして、みなさんが大人になった時、また、たくさんの人に愛情を注げる人になってください。保育園は大きな家族みたいでしたね。それは、卒園しても変わりません。「さよなら」ではなく「いってらっしゃい」と言って見送りますね。「ゆり組のみんな、いってらっしゃい」]

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Bessaflex TM + CARL ZEISS JENA FLEKTOGON 35mm/F2.4 + Ferrania Soralis 200

通った6年のうち、3年間は、私の病気でもう本当に色んなものがぼろぼろだった。一歩も家を出られない時期があったり、少し良くなったかと思ったら何かにしがみつくようにすぐ仕事を始めて、またダメになったり。母親の死に何度か触れそうになった子は、底抜けに明るいように見えても、どこか少し陰があるように思う。あの時期は夜泣きもひどくて、あれは口に出せないSOSだったんだろうなあと思う。お遊戯会も行けなかった。参観日には倒れた。子におにぎりを握ろうとしてそれができなくて死のうとしたあそこにだけは戻りたくないと今も思っている。

園の先生は子だけでなく、そんな私のことも心配してくれていて。大丈夫と訊くわけでもなく、何のプレッシャーも与えないさりげないやり方で、ずっと見守っていてくれた。子に相応の心配りをくれながら。

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Bessaflex TM + CARL ZEISS JENA FLEKTOGON 35mm/F2.4 + Kodak PORTRA 400vc

卒園式。夫は仕事で出れなかった。子は合唱中に貧血で倒れた。子と2人、保健室、和太鼓披露の音を聞いた。

和太鼓、練習したのにね。最後の最後、和太鼓披露したかったね。パパにもお別れの言葉や合唱聴いて欲しかったね。ママも良く具合が悪くなる子だったんだよ。しょっちゅう保健室行ってた。今でも時々倒れる。しょうがないね、ママの子だもんね。

保健室、2人きりの卒園式。

卒園おめでとう。6年間一緒に頑張ってくれてありがとう。ダメなママだけど、どうぞこれからもよろしくね。