大人になれば

FH010029
自分の中の「大人になる」って、子供を産むでも仕事をするでもなくて、「車を運転する」だったように思う。
自分の車を持って運転をする。

昔の話。
私の父親は設計士で自分の事務所を持って仕事をしていた。
朝は私が学校に出た後に起きて仕事に行くし、夜は日づけが変わるまで帰って来なかったので殆ど顔を合わせることが無かった。
その父親が、たまの休みの日には車を運転して湖に連れていってくれたり、自分の故郷に連れていってくれたりした。
私は車の後部座席に寝転がって空を見る。
三半規管が弱くて車に酔いやすかった私は、とにかく車に乗ったら遠くを見ろと言われていたのだ。

自分の車を持っていて、運転をする。それは私の中で自立と責任の象徴だったのかもしれない。

車を持っている人とおつきあいしたこともある。
道さえ繋がっていればどこまでも行けるような感じが好きだった。

2年前、車を手に入れた。
会いたい人に会いたい時に会いに行けるように。
大事な人を助けられるように。
赤い車で長い距離を何度も走った。

でも自分が大人になった気は全然しない。

きっとそれぞれがそれぞれの「大人」を持っているのではと思う。
それは例えば、スーツとネクタイだったり、口紅だったり、もっと形じゃない何かだったりするのかもしれない。

約束を守れる、美しい風景にぐっとくる、自分より大事な誰かを優先できる、守る力を持つ。
大人になるという事が心に贅肉がつくということじゃないといいな、と思う。

後部座席に寝転がって、見上げる窓から見てた風景は忘れてはいない。